常識破りをめぐる常識

http://hayanagi-semi.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/scf_diary/scf_diary/20040705.html#2004070541

via http://d.hatena.ne.jp/flapjack/20040706#p1

学問における理論と方法というのは、言ってみれば、それに従って、手順を踏んで調べていけば、誰もが常識の外部にでる可能性を手にできるようになる「マニュアル」のようなものだ。この「マニュアル」を使いこなすには、段階を追ってトレーニングを積む必要がある。

無論、世間をあっと驚かせる研究をするには、センスや勘や運も必要である。それを否定するつもりはない。しかし、常識の虚構性を見抜くセンスや、おもしろい結果が出そうな素材を選ぶ勘の良さは、トレーニングの質と量に依存する面がある。それどころか発展性のあるテーマに出会う幸運さえも、先行する「常識破りの」研究の理論と方法を、まずは「練習問題」で、次には自分の研究の中で試してみるという経験を経る中で転がり込んでくる場合が多い。いずれにせよ、ある理論や方法の可能性と限界を何度となく自分で確認したときに初めて、自分なりのオリジナルな理論や方法が立ち上がってくる(場合がある)のである。

段階を踏まないと「三千年前に通過してきた場所だ」と看破されるという危惧は常に自分にはあります。危惧であるところが、私の消極的で見直しが必要なところなのですが。

三千年前に通過云々はここらへんに書いています。↓ああ、一年前になるのですか。

http://d.hatena.ne.jp/rain1/20030723#p3