いじめ雑考
小中高生のいじめ自殺に端を発したいじめ問題について。
実は超長文を何度か書いているのですが,まとまりついてないのでアップしません。
自分も基本的にいじめられる側だったので,個人的経験に基づく逃げ方や対処の仕方についてしか言及できないんですね。その言及の仕方については既に批判がされています。私の言葉で要約しなおして大まかに分けると,1,いじめる方も論じないと解決できないのでは?,2-1,いじめられない方法を列挙することでは全てを解決することはできない,2-2,いじめられない方法を列挙し明文化することで逆に「なんでこうしなかったの?」といじめられる側を追い詰めることになる,2-3,いじめられない方法を列挙することは「こうやって逃げた」との自慢にしか読み取れない
と見ております。
これについては,1,そうかもね。ただ,精神的,肉体的に切迫しているのはいじめられる側なので,そちらを優先しているのだと思う。あと,わざわざ言及したい人はおそらくいじめられた経験がある。他人に加害されたほうが,他人を加害したより記憶に残るから。 2-1,一部は解決できるんじゃないか?少なくとも,対処方法を全く知らないよりは,知ることができる状況にあったほうが良い。かつての自分がそうだったから。 2-2,そんな理由で追い詰める奴のほうが悪い。あくまで提案なので選べるといい。 2-3,少なくとも,個別かもしれませんが実際に成功しているため,実効性が期待できるわけです。自慢と実効性,どちらが有益でしょうか。
との返事があります。
「いじめ」を内面化するな!!
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20061113/p1
via はてブ
対処療法として、「いじめられない方法」を共有するのも、逃げ道を確保してあげるのもいい。周囲がコミットしてあげることも重要だ。でもまずは「いじめ」の内面化を否定し、構造的問題として語ること/語らせること、その環境を準備することこそ必要なのだと思う。
そう、君がいじめられているのに、何一つ理由なんか無いのだ。ただのゲームだ。つまらないゲームにいつまでも参加している必要はないよ。とっとと降りようぜ。どうせ、そこで勝っても何も貰えないんだから。
傍線は引用者による。
自分のせいにしすぎないこと,客観的に把握する/させるために,語る/語らせることが主張されています。問題の解決方法として妥当に感じます。
また,
いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろう
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20061113/p1
via はてブ
「いじめを通していじめる側が獲得するメリット/コスト」
を,冷静に列挙しています。メリットは特に男子に見られる傾向があります。
以下,それを簡略化して引用します。
まずはいじめを支持する積極的な意義
いじめる側にとって、いじめを行うメリットや、適応的意義
・金銭や物質の獲得
・クラス内において自分達がボス集団であることの誇示
・クラス内における幾つかの便宜の獲得
(いじめ当人を使いっぱしりにするだけでなく、傍観者的ポジションにいる人達にも影響力を行使しやすくなるのがおいしい。)
・優越感の獲得(心理的メリット)
・女の子からの視線
次はいじめを支持する消極的な意義
いじめ構造の安定化に寄与する因子
・自分がいじめに遭いたくないと思う人達の気持ち
・敵の明確化といじめの正当化
いじめる側にとって、いじめを行うデメリットや、適応的意義の損失
・親に怒られる
・友達に嫌われる
・先生に叱られる
・停学・退学にはならない(※引用者メモ:ここでは「なる」とすべきではないか?)
このいずれも,現在では抑止になり得ないほど,弱体化していることが指摘されています。
この観点でいくと,確かにいじめは得になってしまいます。
倫理性だの何だのを考える前に、まず、いじめる側のメリットや旨味について検討したほうがいいんじゃないだろうか。(中略)
いじめという現象を巡るメリット・デメリット・促進因子・抑制因子のバランスと構造を検討し、いじめ首謀者達のメリットを最小化しコストを最大化するようなアプローチを可視的に為さない限り、おそらくいじめの発生とエスカレートを食い止めることは出来ない。
まずは観察し,行動に駆り立てる要因を分析した上でいじめることが不利になるようなアプローチでないと,無くすことは難しいとの提言です。
このメカニズムを解析することは,大人のコミュニケーション不全に対しても寄与する点で有益であると感じます。