自らの傾向や「向き不向き」に向き合うこと

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070403/p1

自分の「好き」を発見するのは難しい。自分で「好き」だと意識していないことが実は「好き」だったのだと何年もたって発見することもある。「継続できる」というのは「好き」の証明であり、何事においても「継続できる」ことが、何かを成し遂げるためにはとても大切だ。それは大企業であれベンチャーであれ自営業であれ研究者であれエンジニアであれ、同じこと。自分が意識していない自分の傾向も含め「向き不向き」ときちんと向き合い続けることの重要さを、僕は指摘したいのだ。

最近「継続」について考えるところがあったので、この一連のエントリは示唆に富んでいました。向き合い方も、その具体的実践例も。


勇気付けられたのが以下のエントリです。忘れかけていたスピリットを思い出させるのに十分でした。

少しくスタンスは異なるのですが、気概が明示されていました。

幕末明治は福岡のアイン・ランド゙---高場乱(たかば・おさむ)のこと(その1) [03/31/2007]

http://www.aynrand2001japan.com/akira/akira20070331.html

via 大学入学おめでとう企画! 研究者になりたい皆さん、特に女性の皆さんへ 

http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20070403/1175617089

via はてブ

そうそう女性研究者のセクハラの問題でした。あのねえ、女性研究者のみなさん、セクハラされたら、即座に「やめろ、馬鹿!!うるさい!!」と怒鳴りつけることができないような「お行儀のいい」「お上品」で「心優しい」「女らしい女」が、何の不如意もなく、みなさんに愛されて好かれて、軋轢もなく、好きなことやって食っていこうなんて、チャンチャラおかしいの。世間は、別に、あんたに研究者でいてもらいたいわけじゃないんだからさ。「貴婦人」でいながら、かつ「キューリー夫人」でいるのは、無理なことです。

天才でもないし、世界で10の指に入る大学者でもないような凡庸な頭脳の持ち主が、好きなこと勉強して食ってゆきたいと思うのだから、愚劣な人品卑しい人間にうんざりするほど遭遇するなんて程度のことを経験するのは、当たり前です。正当なことです。それぐらいの不如意を引き受けてこそ、まっとうに忍耐力のある人間になれるってものです。

そうだ、「女らしい」なんてかなぐり捨ててしまえ。

私は、一応は、この被害者の女性の支援団体に寄付なんかもしたことが数回あったのですが、しかし、はっきり言って、「どっちもどっちだ」と思っていました。あの事件の「被害者」とされた女性は、研究者として出世したかったからこそ、あの気持ちの悪い有名スター学者の弟子&秘書をやっていたのでしょう?ならば、最後まで、計算ずくで、そいつを徹底的に利用してやればよかったのに。それも、ひとつの覚悟の定まった立派な生き方です。

あはは、19歳のときにある先輩の行動に対して私が感じたことが書かれていました。