1903-10-26

あるきっかけで、すっかり忘れていた昔のことを思い出すときがあります。

今日、お風呂に浸かってぼんやりしていたら、春先に必ずメールを送ってくる人のことを思い出しました。もうずいぶん前の話になりますが、私が大学に入りたてのころ、親切にしてくれた人のことです。

当時、自分は地元の大学生がつくるメーリングリストに参加していました。一年が過ぎて、そろそろ春も訪れようというとき、私は梅を見にいくことをその場で提案し、そしてふつーにスルーされ、結局乗ってきたのはその人だけだったので、缶チューハイを買って、のこのこと公園に二人して見にいきました。見に行く、というより、嗅ぎに行って、春の訪れを体感する目的だったのですが、梅の開花時期は桜よりも早く、とても寒かったのです。着膨れたまま、岩波文庫古今和歌集を片手に、梅の匂いが如何に春を実感させるか、桜には匂いがほとんどないので、この点では梅に優位性がある、とか、そういった与太話を私は酔っ払いながら滔々と語りました。いい迷惑だったと思います。

そのときに、もう少ししたら、菜の花を見に行きたい、ということも言いました。山村暮鳥の「風景 純銀もざいく」*1という詩と、与謝蕪村の「菜の花や 月は東に日は西に*2という俳句がとても気に入っているので、それを実感しに行きたい、と、やはり酩酊した頭で脈絡もなく語りました。結局、見に行くことはなく、その人とも疎遠になっていったのですが、毎年、春が近づきかけた辺りになると、「いつかそのうち見に行きたいですね」と、メールが入ります。今は遠くに暮らしているし、たぶんこれからも見に行くことはないと思いますが、それでも春になれば思い出すことのひとつです。

今の時期に書くことじゃなかったですね。