内藤朝雄さんのアカハラとパワハラについての記事。

http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20050519

via http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20050520#1116560539


ご自身の院生時代のエピソードなどを織り込みつつ,いくつかの論点が出てきます。

実は最も印象的だったのは「ナメクジ院生」の存在でした。「ナメクジ」のネーミングが。どこにでも変な人はいるもんですねー。


それはさておき,社会的地位の格差を利用した圧力に対抗するには,構造的に不可能にすればよい,との考えには賛成です。

人間的に変えることよりは,現実的かと。

中心的なところを抜き出します。

もちろん社会的地位を用いて、逆らえないだろうと想定してやるのだから、セクハラ加害者が年配者にかたよるのかもしれない。「逆らえないだろう」と想定しながら弱者を思い通りにさせることでナルシシズムを肥大させるのが癖になったクズやろうが年配者に多いのは、構造的にそういうチャンスをもっていることが多いからでもあろう…。

ならばそういうチャンスをもたせないようにすればよい。そういうことをすると痛い目をみるぞ!というふうにもっていけばよい。


しかし、企業の経営戦略と、リンクすれば問題はたちどころに解決するし、しなければいつまでも変わらない。制度政策的に、企業戦略とセクハラ・パワハラが接合するようにもっていく。

三菱自動車の事故のように、セクハラやパワハラが問題になって会社の存続にすら響いてくるようにすればよいだけ。考えてみれば昔は、製品の不備で人が死んでも、そんなことは重要な会社の案件ではなかったかもしれない。第三世界などでは、製造物責任など知ったことか、といったことはよくある話しだ。三菱自動車のシャフトがイラクで折れて人が死んでも、重要な会社の案件ではない。


大学はセクハラ・アカハラパワハラが志願者数に直結するような格付けシステムができれば、たちどころに重い腰が軽くなる。