社会科学教育についての愚痴

http://www.asvattha.net/soul/index.php?itemid=400

いや、正直、今になってやっと出直し方が分かってきた感じすらある。某大学の某研究室には、御大が学部生だった頃に受けた、庄司興吉先生の「社会学史概説」のノートというのがあるのだけど、デュルケムから始まるかと思いきやJ.S.ミル、かと思えば限界効用逓減とは、マルクスとは、ってな具合で縦横無尽。線形台数を手計算でやらせたとかいう「小室ゼミ伝説」も含め、「社会-経済学」の基礎があった時代なのだなとつくづく思う。

でも、社会学者にとっての経済学は、ある種の知識社会学的な対象、つまりそれ自体が思想的なバックグラウンドを持った社会的出来事でもある。そのことを理解するためには、当然思想史が頭に入っている必要がある。というか、社会学の持つ「実証主義」という性格自体が、近代の思想的な極域で登場したものだ。庄司講義録は、当然この辺も第二回目くらいの授業で押さえているのだけど、僕がそういうことを意識するようになったのは、ほんとに博士課程に入ってからのことだ。

ついでに

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20041129

大学院進学を考えている君たちに

まあもちろん分野によって事情は違うので、ここでは人文社会系の研究者志望の方を念頭において、さるお方のとてもとてもありがたい箴言をご紹介します。

「東大で大学院に入るのは自殺行為、それ以外の大学で大学院に入れるのは殺人。」

(c)飯田泰之

特に地方旧帝大の君、要注意。先生は責任とってくれへん。指導教官だっていつ東京か関西の私大に逃げるかわからんぞ。

私が存じ上げている先生のご尊名もありますが……。